地域での取り組み
当社は1988年の創業以来、「農業を食業に変える」を理念に農業生産(養豚・水稲・果樹)をはじめ、ハム・ソーセージ等の食肉加工品製造、直売所・レストランの運営を通じて、地産地消の推進と農業の付加価値化に取り組んできました。2004年からは経営理念を「人と自然へのやさしさをもとめて」と進化させ、地域資源を活用した体験プログラムの企画・実践による誘客事業を強化しています。
現在は「地域の高齢者の経験や知恵こそ、都会と地方を繋ぐ鍵」と位置づけ、地域住民が主役になる体験プログラムを多数企画。都市農村交流による農村の産業化(=農村の資源をフル活用して、新しい経済を創出していくこと)に取り組んでいます。
本ページでは私たちの拠点となる登米市迫町新田地区の概要と、これまでの取り組みをご紹介します。登米市迫町新田地区の概要
【大きな3つの沼、低い標高、平地と丘の境に位置する里地・里山】
新田(にった)地区は、登米市の西の端に位置する、昔ながらの農村です。
平地と丘陵地の境に位置するこの地区には、ラムサール条約に登録されている「伊豆沼」を含め、3つの大きな沼があり、海までのおよそ30kmの範囲には、標高6m程度の広大な低平地が広がっています。
かつて、この地域は、大雨のたびに周辺の3つの河川(一迫川、二迫川、三迫川)が氾濫する、大湿地帯だったそうです。江戸時代以降、その広大な平坦地は水田として、丘陵地は棚田での稲作、露地野菜やシイタケの栽培、畜産の場として、地形に応じた農業が行われています。
地形の変化に富むこの地区には、地形に応じて特徴の異なる里地・里山があり、多様な生きものが沼とそれらの里地・里山を利用して、生活しています。
気候と動植物
【新田の一年(概要)】
新田地区は、平均気温が0℃から25℃程度と、比較的冷涼な地域です。最も寒い2月には、時折-10℃を下回る厳しい寒さを記録することもあり、その時期には、伊豆沼の水面全体が凍結します。
3月になると最低気温が0℃を下回る日が少しずつ少なくなっていき、そのころから、生きものの活動が少しずつ見られるようになってきます。
平均気温が10℃を超え、田んぼの作業が始まる5月頃には、農村にツバメやカエルの声が響くようになります。
最も気温の高い8月には、伊豆沼の全面がハスで覆われます。
9月には徐々に気温が下がり始め、下旬ころには田んぼが金色のじゅうたんのようになり、10月には稲刈りが行われます。
稲刈りも終わり、気温が下がってくると、伊豆沼周辺では渡り鳥の姿が見られるようになります。
季節の変化をはっきりと感じることができるのが、この地区の特徴です。これまでに取り組んできたこと
•2010年から地元有志の方々と協議会を設立し、地域資源の調査および農泊事業の体制づくりをスタートさせました。
•民俗研究家・結城登美雄先生が提唱する地元学の理念を基本に、地域のあるものさがしに取り組んでいます。
【地元学とは(農文協・地元学からの出発より)】
いたずらに格差を嘆き、都市と比べて「ないものねだり」の愚痴をこぼすより、この土地を楽しく生きるための「あるものさがし」。これからの地域の在り様をこの土地を生きてきた人々から学ぶこと
地域の暮らしぶり調査
地域に住む人たちがどのような暮らしをしているのか、どんなことを大事にしてきたのかを調べ、記録してきました。
地域でつくられている食材調査
地域で育てられている食材、食材をつかった料理方法を調べ、記録してきました。
食の文化祭
新田地区の食文化の多様さ、料理をつくるお母さんたちの技と知恵を体感してもらうため、新田・食の文化祭を行いました。
地域のあるものさがしを通じて・・・
地域資源を活かした体験プログラム
当社が提供する体験プログラムでは、地域の高齢者の経験や知恵こそ、都会と地方を繋ぐ鍵と位置づけ、地域ガイドの出番を多数用意しています。
農村の産業化を目指して
これからの農山漁村は少子高齢化が一気に加速し、誘致企業の撤退や職を求めて若者が都市へと流出することも避けられないでしょう。
その中で当社は、農泊をメインとした誘客産業をさらに活性化し国内外のお客様をお招きする準備を進めていきます。
本ページをご覧になっている皆様もぜひ当地区へ足をお運びください!
行山流 佐沼鹿踊(ししおどり)
信仰的で勇壮な踊り
■起源
狩猟で犠牲になった史家の供養として始まったとする説が有力です。
■由来
江戸時代初期、戦の間の鹿狩りを好んだ伊達藩藩主伊達政宗は、戦の演技として鹿踊りを好んで場内へ迎え入れ、楽しんだとされています。
佐沼鹿踊には4つの踊組があり、毎年7月15日、二組ずつ交互に佐沼上(現在の鹿ヶ城)の場内で奉納するのが習わしでした。
踊り手や資金不足により、昭和初期に姿を消し、幻の郷土芸能となっていましたが、平成8年、同じ流派の水戸邊鹿子躍保存会の指導を受け、平成9年に復興されました。
■特徴
頭部には本物の鹿の角が左右に広がる鹿頭(ししがしら)、背中に長いササラ、前幕には伊達藩の紋所を染め抜き、大口袴をはき、腰には太鼓を下げ、太鼓をたたきながら歌って踊る、信仰的で勇壮な踊りです。
通常八頭組の踊りだそうですが、佐沼鹿踊は十頭組であるとの記録が残っています。
山ノ神神楽(滝澤流南部神楽)
運動量が多く、華やかで、謡いの明瞭な神楽
■起源
滝澤流南部神楽の起源、文化派生や伝来については、詳細な記録や文献資料が現存しませんが、住民の災厄や五穀豊穣を祈る神事として、法印の神楽が伝承されたものと思われます。
保存地には、縄文時代中期の遺跡である糠塚遺跡や山ノ神神社もあるため、地区民の信仰の対象となっています。
■由来
大正5年 山ノ神の千葉盛が、現在の若柳町新田の高橋中右衛門より指導を受け、神楽座を組織しました。
その後座長となり、山ノ神神楽と称するようになったそうです。
■特徴
南部神楽共通の特色である、舞いと太鼓の激しさ、運動量の多さ、衣装の華やかさを有しつつ、中でも謡いの明瞭さに定評があります。
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